ネット上にある日本語の文章のほとんどは、縦書きで書籍として出版されている本と同程度のアルファベットや数式しか使用していない。コンピュータの技術情報を扱っているサイトがある分、多少横書きのものも増えるかもしれないが、そういうものは元から書籍でも横書きにされている。
森博嗣氏が
ブログで、「本の形態が縦長で、1行を短くできるため、基本的に横書きに向いたデザインであること」から、縦書きよりも横書きの方が見やすいという人が増えているのだろうとブログに書いているけれど、それならコンピュータのディスプレイは特別に向きを変えない限り全て横長である。つまり、森氏の理屈でいえば縦書き向きということになるが、現実にはそういう話は聞かない。まぁ、Webデザイナの人は文章を入れるブロックの幅があまり長くならないように気を遣っているだろうけれど。
森氏は同じ記事の中で、小説を書くのに使っていたクラリスワークスというソフトが「もう新しいOSでは、このソフトがないので、テキストエディタくらいで書くことにしよう」と書いている。僕は、これが答えだと思う。森氏は慣れの問題よりも上に紹介した本の形態の問題だと思っているようだが、僕は完全に慣れの問題だと思っている。そして、僕らを横書きに慣らそうとしているのは、パソコンを中心とした道具である。
現在流通しているパソコンで縦書きの文章を書こうと思ったら、標準のソフトでは不可能だ。MSWordはルビも含めてかなりキレイに縦書きの文章を表示できるけれど、その代替として注目されているOpenOffice.orgのWriterは縦書き文章の表示はとても汚い、フォントを変えることである程度改善されはするが、ルビの方は本文と離れすぎて隣の行に重なったりしてしまい、機能があるだけで使えるものではない。この点では、少なくとも2000の段階でキレイな縦書き文章を作成できていたMSWordはとてもいいソフトだと思う。OpenOffice.orgは日本だけのソフトではないけれど(それはMSWordも同じだ)、日本語を書くという点においては八年前のソフトにも勝てないでいる。一太郎は使ったことがないけれど、縦書きがひどいということは多分ないだろう(MSWordやOpenOffice.orgと違い、まさに日本語を書くためのソフトなのだから)。
しかし日本語を縦書きでまともに書けるソフトはすべて有料で、しかもそれらで作成した文書は同じソフト、もしくは専用のビューワをインストールしたパソコンでないと見ることもできない。
縦書きより横書きの方が――と言う人が増えたのは、単純に道具が縦書きに対応できていないから――もっといえば、道具が駄目だからであり、それ以外の理由はない。小説などで縦書きに違和感を感じる人間は、悪いが普段教科書くらいしか文字の本を読んでいない人間なのではないだろうか。学校の教科書は、なぜか日本史の教科書まで横書きになっているくらいだから。僕の場合、むしろ日本史の教科書がなぜ横書きなのか。そこに違和感を覚えた。日本史にアルファベットや数式はほとんどでない。数学や物理と違い、横書きになる必然性は存在しない。国語の教科書は縦書きだが、これは国語の教科書に縦書きになる必然性があるからであり、教科書を作っている人たちは、もしかしたら縦書きにするには理由がいる。基本は横書きだ――とでも思っているのかもしれない。
縦書きができない道具に囲まれて暮らしている、ほとんど本を読まなくなった人々が横書きに慣らされるのは当然のことだ。当然のことではあるが、くだらないことである。僕は無駄に我が強いから、道具に慣らされるのなんてまっぴらごめんだ。
パソコンが日本人の道具になるには、縦書きを苦労せずにできるようにする必要がある。そもそも、便利なようで僕らは道具に不自由を強要されてはいないか? 表現を束縛されてはいないか? コンピュータ分野で働く人がプレゼンなどで話すほどには、僕はコンピュータが創造的な道具になれているとはまだ思えない。
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