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つまり、対象と記号の間には結びつけられる必然性なんて存在しないわけだ。これだけでも、言葉の恣意性は明らかだ。
戸籍制度見直しへ議連 民主有志
戸籍制度の廃止をめざす議員連盟が、民主党の有志議員約30人により10月に発足する
ことがわかった。名称は「戸籍法を考える議員連盟(仮称)」で、呼びかけ人は川上
義博氏、松本龍氏ら。個人を単位とした登録制度をつくるため、戸籍法の廃止も含む
見直しを提案している。
東京都議会議員土屋たかゆき氏のブログ今日の”つっちー”より
このことで、私が、民主の本音が「マニフェストに書いていない」と論文発表したことが正当化される。政調会は、選挙はマニフェストで闘うと言っていた。確かにマニフェストで闘ったが、その後の政権では政策集やそれ以外の左翼的政策がオンパレード。
男を投げるのなら、相手が女でも投げるのは当たり前ということになる。それが同等だと言うのなら、私としてはどうしようもない。正直言って、アメリカ流の男女平等には賛成しかねた。そしてこれに対して、藤平氏は合気道の男女平等の考えについて語る。
合気道は半身の構えをとる。つまり、片方の足が前へ出るときには、もう一方の足が控える状態になる。これこそが合気道における男女平等の精神なのである。
要は共同で何事かを成し遂げようというときには、一方が主になれば、必ずもう一方は控えるのが理だということだ。
だから、男は女がやりやすいようにやればいいし、女も男がやりやすいようにやればいい。これでこそ男女平等なのである。
人は原理主義に取り込まれると、魂の柔らかい部分を失っていきます。そして自分の力で感じ取り、考えることを放棄してしまう。原理原則の命じるままに動くようになる。そのほうが楽だからです。迷うこともないし、傷つくこともなくなる。彼らは魂をシステムに移譲してしまうわけです。
村上春樹『僕はなぜエルサレムに行ったのか』 文藝春秋2009年4月号より
彼らは自我をそっくりグルに譲り渡し、壁のなかに囲い込まれ、現実世界から隔離されて暮らしていました。そしてある日、サリンの入った袋を与えられ、地下鉄の中で突き刺してこいと命じられたときには、もう既に壁の外に抜け出せなくなっていたのです。そして気がついたときには人を殺して捕えられ、法廷で死刑を宣告され、独房の壁に囲まれて、いつ処刑されるかわからない身になっている。
中庸は、彼(伊藤仁斎 引用者注)の言うように至徳には違いないが、日常生活上の認識と行動に関する知恵として、彼はこの言葉を使用したに違いないのである。
中庸とは、簡明に、「過不及ナク、平常行フベキノ道」と解して充分なのである。中庸という言葉は、学者達の手によって、「高遠隠微之説」の中に埋没して了ったが、本当は、何の事はない、諸君が皆持っている常識の事だ。
中庸とは、知恵の働きであって、一定の知恵ではない。
至難なのは、中庸の働きそのものの、勉強や知力で律する事の出来ぬその至易至簡な姿に還り、その自覚から離れぬ事である。
出来上った知を貰う事が、学ぶ事ではないし、出来上った知を与える事が教える事でもなかろう。質問する意志が、疑う意志が第一なのだ。
正しく質問しようと努める他に、何処に正しい知の働きを身につける道があろうか。
人間に出来る事は、天与の知恵を働かせて、生活の為に、実在に正しく問う事だ。実在を解決する事ではない。正しい質問の形でしか、人間にふさわしい解答は得られはしない。
Author:日下部恵人
日下部恵人の成分解析結果 :
日下部恵人の94%は鉛で出来ています。
日下部恵人の3%は呪詛で出来ています。
日下部恵人の1%は努力で出来ています。
日下部恵人の1%は気の迷いで出来ています。
日下部恵人の1%は根性で出来ています。
ブログの説明をダジャレに変えてみた。ダジャレをオヤジギャグというのは差別だと思う。「女らしくなれ」といったら差別だと言われるのに、なぜ下らないギャグと結び付けられて世の紳士たちは憤らないのだろう。やはり紳士だからだろうか。